1985年。阪神タイガースはバース掛布岡田を中心とした重量打線でリーグ優勝。そのままの勢いで日本シリーズでも西武ライオンズを倒し、球団史上唯一の日本一となりました。全虎党が「しばらくは阪神の時代やぁ!」と思ったものです。

しかし、翌1986年は3位、1987年は最下位。その後には長く暗い、暗黒時代が待っていました。
阪神タイガース 年度別成績
http://npb.jp/bis/teams/yearly_t.html より

 

92年、亀新フィーバーで2位に躍進するものの、それ以外はすべてBクラス。その頃のタイガースファンの1年というと、
1月〜2月 「今年はいけるで!」
3月「オープン戦もひとつやったけどシーズン入ったらやるで!」
4月「スタートあかんかったけどこっから巻き返しや!」
5月以降「よし、若手育成して来年優勝や!」
ほんまにこんなんでした。

1999年、阪神タイガースは野村克也監督を招聘します。この年ぐらいから、いよいよ本気で勝つことを目指すようになったのかと虎党は期待します。しかし野村監督時代も結果的には最下位を脱出することはできませんでした。虎党は期待を裏切られ落胆しますが、思えばこの時期の種まきが数年後花を咲かせることになるのでした。

 

ちょうどこの頃、知人とこんな話をしていたことを鮮明に覚えています。

「阪神がほんまに優勝するんやったら監督誰がええと思う?野村さんでもアカンにゃで。」

「とにかくチームに覇気がない。もう星野仙一しかおらんやろこんなん。」

「せやなぁ。星野さんやったらぐいぐい引っ張っててくれそうやなぁ。ありえんけど。。」

当時の星野仙一は完全に中日のひと。生え抜きで名古屋で活躍、かつその時はバリバリの中日監督。中日以外のユニフォームは着たことが無いという、今で言うと「広島 緒方監督」「読売 高橋由伸監督」(ちょとスケールが違いますが)みたいなもんです。希望として監督やってほしいと言うのは勝手やけど現実的にはありえない、そんな感じです。

 

2001年暮れ、次年度も指揮をとる予定であった野村監督が突如辞任します。まあいろいろあったのですが、そのへんはググってください。

大変なのは後任監督の人選です。すでに12月、ゆっくり人選して交渉する時間などありません。仰木彬さん、西本幸雄さんなど、の名前が連日新聞紙上を賑わせます。しかし4年連続最下位のチームの監督をすすんで請ける方など簡単にはいなかったのだろうと、容易に想像できます。

野村監督は辞任する際、最後に「優勝したいなら次の監督は熱血指導型の西本幸雄か星野仙一」言い残したそうです。いまもむかしも、虎の選手たちはおとなしいのです。。

 

その野村監督が辞任する数週間前、中日の監督を辞めていた星野仙一は完全に戦闘モードを切った優しいカオでテレビに出演していました。中日球団との確執も噂される中6年監督を勤め終え、しばらくゆっくりするつもりだったのでしょう。

前任監督の進言やチーム状況などを踏まえ、当時阪神タイガースのオーナだった久万俊二郎は、中日の監督を辞任したばかりの星野仙一に阪神の監督就任を打診します。数日後「火中の栗を拾う」と受諾。星野阪神が誕生した瞬間でした。

 

スローガン「NEVER NEVER NEVER SURRENDER」を掲げ新生星野阪神タイガース2002年のシーズンが開幕します。開幕から7連勝、6月まで首位争いという、前年まで4年連続最下位のチームとは思えない快走で関西は盛り上がります。しかしいかんせん選手層が薄く、最終的には4位。最下位は脱出したものの、ペナントを獲得するにはまだまだ時間がかかりそう、そんな雰囲気でした。

甲子園での最終戦終了後、星野仙一は満員の観衆にこう言いました。
「みなさんの悔し涙を来年は嬉し涙に変えてみせます。」と。

 

2002年のオフ。功労者である坪井智哉や山田勝彦を含む24人の選手がトレードなどで退団する一方、FAで金本知憲を、さらに伊良部秀輝・下柳剛などを獲得。「血の入れ替え」と呼ばれた大改革を行い2003年へと体制を整えます。

2003年、前年同様開幕から首位を快走。いつ落ちるか、どこまで持つのか、ハラハラする虎党の気持ちをヨソに、7月8日、当時セリーグ最速でマジック49が点灯します。7月終了時には2位に17.5ゲーム差というぶっちぎり独走状態となりました。8月には優勝が決まるのではないかと、チケット入手に走り回っていたのを思い出します。

8月死のロードから9月、少し息切れしながらではありましたがマジックを2まで減らして9月15日の広島戦を迎えます。

当日はデーゲーム。この日の優勝の条件は「甲子園で阪神が広島に勝利」「ハマスタでヤクルトが横浜に敗戦」することでした。

 

試合は広島に先制されるものの、前年FAで日ハムからタイガースにやってきた片岡篤史の同点ホームラン、最終回赤星のライトオーバーサヨナラタイムリーなどで勝利します。あとは横浜スタジアムの結果待ちです。
赤星星野サヨナラ

14:00から開始した甲子園の試合が終わったのは17:00頃でしたでしょうか。一方ハマスタはこの日試合開始が確かデーゲームでもナイターでもない16:00だったと記憶しています。

甲子園で赤星選手のヒーローインタビューが終わり、六甲颪を歌った時には横浜スタジアムの試合はすでに中盤。ヤクルトが負けているという経過がバックスクリーンに表示され、5万観衆から大歓声。

選手はベンチから、観衆はスタンドから、バックスクリーンに映し出される横浜スタジアムの試合を見つめます。ヤクルト劣勢ですすむ試合。興奮を抑えきれない甲子園。球場全体で禁止されているはずのウェーブがはじまります。

1周・2周と波打つスタンド。1塁側まで波が来るとベンチの選手たちもウェーブに加わります。矢野、金本、途中離脱した浜中など、みんな一緒にウェーブをやります。2年前、こんな幸せな瞬間が来ると誰が考えたでしょう。

 

数十分後、18年ぶりのその瞬間がやってきました。選手がベンチから弾けるように飛び出します。星野仙一が率いる新生阪神タイガースが2年間でセリーグの頂点に立った瞬間です。

僕の目の前で阪神タイガースの監督が胴上げされています。胴上げされている背番号77は遠目でも満面の笑みであることがわかります。広がる両手両足が「V」という文字を描いているように見えました。悔し涙が嬉し涙にかわりました。
星野仙一 阪神 胴上げ 画像

 

星野仙一さん。あーしんどかった。ですね。ゆっくり休んでください。
あーしんどかった 星野仙一