ミスタータイガース 掛布雅之 31

阪神 掛布 1985 画像

僕が物心ついて最初に見た阪神タイガースの4番は、掛布雅之でした。TwitterとかFacebookページとかでコメントを頂いているのを見ていると、今や掛布の現役時代を知らないファンの方も増えているようで。そりゃそうですね。退団したのが1988年。もう25年前ですから。。

 

掛布雅之選手は1973年秋のドラフト6位で指名されました。その直前、秋の2軍キャンプに練習生として参加。実力を認められテスト生同然での指名だったそうです。

1974年に入団すると、開幕から1軍に定着。2年目の1975年には相手投手が左なら佐野、右なら掛布という使い方をされながら、最終的には掛布が3塁手として定着します。

1979年、48本のホームランを放って初の本塁打王に輝きます。1982年は本塁打・打点の2冠王。1984年にも本塁打王に輝きます。特筆すべきは1984年。シーズン終盤残り2戦は、ホームラン王を争っていた宇野選手がいる中日との対戦。2試合全打席両者敬遠という珍しい記録を残し、掛布と宇野は本塁打王を分け合ったのでした。

1982年6月2日 読売戦 掛布同点ホームラン 動画

ライバル江川から放った高めボール気味の球を振りきってライト中段へ。ラッキーゾーン関係無し。

そして迎えた1985年。言うまでもないですね。阪神タイガースが唯一日本シリーズを制覇した年ですね。

このブログでも何度もご紹介しているこの動画、何度見ても良いものは良い、もっぺん載せておきます。

バックスクリーン3連発 バース 掛布 岡田 動画


実況は植草貞夫。クロマティーはーーーーー追わない!!!

ちなみにこの年、僕の住んでいた町の小学生はほとんど全員阪神帽をかぶって投稿。女の子も半分ぐらい阪神帽をかぶってました。

 

順調に来た掛布雅之の野球人生ですが、1986年に大きな壁が立ちはだかります。4月20日対中日戦、ルーキーの斉藤学投手から手首に死球を受けて骨折。ほとんど活躍できずに1年が終わってしまいます。

1987年、88年も全盛期の結果が残せず、9月14日に引退を表明。他球団からのオファーもあったようですが、掛布選手は阪神タイガースの選手としてバットを置くという決断をしました。

1988年10月10日(僕も観に行った!!)引退試合はスタメン4番サードで出場。最終打席は四球。ついに(現時点で)最後のミスタータイガースはユニフォームを脱ぎました。

 

個人的には、このあとコーチ・監督へと進むものだと思っていました。しかし、現役当時の飲酒運転や、退団後の債務問題が起因したのか、2013年現在ユニフォームはまだ着ていません。

2014年より「打撃アドバイザー」という(ちょっと良くわからない)立場で阪神タイガースを支えることになるようです。生え抜きの長打が打てる若い打者を、ミスタータイガースの手によって生み出して欲しいものですね。

掛布雅之 引退の記録 動画

12分53秒 時間があるときにゆっくりご覧ください。

掛布雅之 引退 画像

掛布雅之 通算成績
打率.292 本塁打349 打点1019
5673打数 1656安打
本塁打王:3回 (1979年、1982年、1984年)
打点王:1回 (1982年)
最多出塁数:2回 (1981年、1982年)

ベストナイン:7回 (1976年 – 1979年、1981年、1982年、1985年)
ダイヤモンドグラブ賞:6回 (1978年、1979年、1981年 – 1983年、1985年)
オールスターゲームMVP:3回 (1978年 第3戦、1981年 第2戦、1982年 第3戦)
月間MVP:1回 (1979年4月)

阪神タイガース 背番号31 歴代選手名

阪神タイガース 歴代背番号 選手一覧

2013阪神タイガースさよならゲーム動画集

阪神タイガース 選手別応援歌2013