藤川球児 背番号22
1998年のドラフトで1位指名。1999年入団、当初の背番号は30。1年目はファームでも3試合に留まり基礎体力づくりに励みます。
2000年、2001年は初登板を果たすも目立った活躍は無し。2002年に背番号を「92(きゅうじ)」に変更し、登板機会も先発・中継ぎ投手として12と激増。9月11日には涙の初勝利。このころはかわいいもんでしたねー。
2003年、18年ぶりに阪神タイガースが優勝した年、背番号22に変更。先発・中継ぎとして26度29回2/3の登板。しかしパッとせず。特に4月11日巨人戦、4失点して同点に追いつかれたあの逆転劇はあなたも印象に残っているのでは。
2004年は故障で2軍スタートするも、後半戦は完全に中継ぎに転校して1軍に定着します。31回を投げて35奪三振と、このあとの活躍を予感させるような成績を残したのです。
2005年。開花のシーズンです。背番号も元横浜の大魔神佐々木や元ヤクルトの高津臣吾と同じ「22」に変更。ジェフ・ウイリアムスと久保田智之との無敵のリリーフトリオ「JFK」の一角を担い、当時のシーズン最多登板である79を記録(最終的には80)。53ホールドポイントで最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得します。
2003年 JFK 阪神 youtube動画
んんん、よかったなぁこの頃は。。
2006年は当時抑えだった久保田智之投手がケガのため6月に離脱。移行抑えとして定着し、その後の活躍はご存知のとおりです。
まっすぐとわかっていても打てないストレート。誰がまとめてくれたのか。
藤川球児のピッチング youtube動画
あとこちらは圧巻。3者連続3球三振!
藤川球児三者連続三球三振 2009年5月27日 西武戦(甲子園)
2012年終了後、海外FA権を行使し2013年シーズンよりシカゴカブスに移籍しました。しかし、渡米以降負傷が続き、6月11日に手術。メジャー挑戦1年目は失意のうちに幕を引くこととなりました。
あの、火が出るようなストレートを、僕たちはもう一度見ることができるのでしょうか。
藤川球児登場曲 リンドバーグ〜every little thing every precious thing〜
藤川球児 通算成績(阪神タイガース)
2000年〜2012年
562試合登板 投球回数692
42勝25敗220セーブ
防御率1.77 奪三振914
最優秀中継ぎ投手(2005年 2006年)
最多セーブ投手(2007年 2011年)
月間MVP(2005年6月 2008年9月)