Header image alt text

阪神タイガース 虎講師のブログ


阪神タイガース 放棄試合 一覧 まとめ

一覧を見る前に、まず放棄試合とは。

放棄試合(ほうきじあい)とは、競技において何らかのトラブルが発生したために、事態の収拾が付かなくなったり、人数不足になったりした場合に、そのトラブルの元となったチームを敗戦扱いにする制度。試合放棄と呼ばれることも多い。試合を行わずしての裁定では不戦敗となる。

放棄試合の場合の結果は、(それまでどれだけ得点していても)0 – 9となる。

公認野球規則では没収試合(ぼっしゅうじあい、Forfeited game)と言う。原則として個人記録はそのまま残るが、加害チームが勝利しながらも没収試合の対象で0 – 9の敗戦となった場合、勝利投手・敗戦投手・セーブの記録は取り消しとなる。

という制度です。では、球史上で阪神タイガースが関わった放棄試合(没収試合)を見てみましょう。

 

1.1954年7月25日 大阪タイガース対中日ドラゴンズ(大阪球場)

阪神 放棄試合 真田重男

5−2、中日リードで迎えた10回のウラ。代打真田重男がファウルチップした打球を捕手が落球したとして球審はファウルと宣告。この判定に対し、中日側は「直接捕球した」と球審杉村に抗議。

あろうことか杉村球審は判定を覆し、真田重男は一転三振に。これには阪神ベンチも黙っておられず、球審に抗議。その際に藤村富美男は球審に暴行し退場を宣告される。併せて、松木謙治郎監督も球審に暴行したとされ退場。

そしてスタンドのファンが興奮し、球場に乱入。試合は1時間7分中断したものの、阪神が連盟への提訴を条件に試合を再開した。

しかしその後、退場宣告がうまく伝わっていなかった藤村富美男が打席に入ろうとして再び試合が中断。大量のファンがまたもグランドに乱入して収拾がつかなくなり、没収試合として中日の勝利とされた。

事件当時の監督 松木謙治郎はシーズン終了後に責任を取って辞任。俗に「難波事件」と呼ばれる。

 

2.1967年9月23日 阪神タイガース対大洋ホエールズ(甲子園)

1967年 阪神タイガース 没収試合

1回表大洋の攻撃。二死満塁から9番打者が2ストライク後の球を空振。投球をショートバウンドで捕球した阪神の捕手和田徹は球審がストライクアウトのジャッジをしたと認識。打者へのタッチプレイ・一塁送球をせずボールをマウンドに転がした。

それを見た大洋ベンチは、打者に振り逃げができるので1塁に走るよう指示。3塁走者もホームイン。。

阪神監督の藤本定義が「ストライクアウトを宣告した時点でスリーアウトではないか!?」と抗議、暴力行為で退場。

阪神タイガースは試合続行を拒否し、放棄試合となる。

 

【あわや放棄試合】

1.2005.9.7 中日ドラゴンズ対阪神タイガース(ナゴヤドーム)

2005 9 7 決戦 阪神 中日

首位争いの天王山。2度に渡る阪神不利な判定に矢野をはじめナインは激怒。岡田監督は選手をベンチに引き上げさせました。

その一部始終を動画でどうぞ。

2005.9.7決戦 中日 阪神 動画 youtube

最後は中村豊の決勝ホームラン。このままの勢いでこの年タイガースはペナントレースを奪取します。ちなみに日本シリーズは。

 

2.2013年8月23日 中日ドラゴンズ対阪神タイガース(ナゴド)

和田監督 ナゴド 退場
また中日戦。0−0で迎えた3回表。ライトへマートンが放った打球はフェンスを直撃(したように見えた)。

しかし中日のライト平田がフェンスを背にしてダイレクトで捕球したと判定され、名幸一塁塁審はアウトを宣告。

怒った和田監督は抗議の末退場処分となる。コーチ・選手はベンチに引き上げた。

数分後無事試合再開されましたが、貴重な先取点を明らかな誤審で逃すという後味の悪いものとなりました。

2013.8.23 和田監督退場 ナゴヤドーム 動画 youtube

 

ちなみに、セリーグで記録されている放棄試合は2試合。いずれも阪神タイガースが0−9で敗れるという不名誉な記録として残っているのです。

古いのも動画があったらいいのに、ですねぇ。。。

 

阪神タイガース 2014 首脳陣一覧

阪神タイガース 2014 新入団選手一覧

阪神タイガース 2013 退団選手一覧




阪神タイガース 監督 コーチ 2014

2014年 阪神タイガースの首脳陣一覧とプロフィールはこちらです。

 

監督 86 和田 豊

和田監督 画像
現役1985−2001(阪神タイガース)
2番セカンドとして職人芸である右打ちは見事であった。2002年からコーチ。2012年より監督。

 

ヘッドコーチ 84 黒田 正宏

阪神 黒田正宏 画像
現役 1971−1981(南海ホークス) 1982−1985(西武ライオンズ)
南海時代には野村克也監督より基礎教育を受ける。
西武ライオンズバッテリーコーチ 福岡ダイエーホークスヘッドコーチなどを経て、1999年阪神タイガース1軍バッテリーコーチ、2001年からはフロント入り。2013年より阪神タイガースヘッドコーチに就任

 

野手総合コーチ 74 吉竹 春樹 <作戦・守備走塁コーチより>

阪神 吉竹春樹 画像
現役1979−1986(阪神タイガース) 1987−1996(西武ライオンズ)
3割を超えた経験は無いものの守備は一級品。俊足で広い守備範囲が売り物であった。
1997年から2008年まで阪神タイガースでコーチを務めるも、引責退団する岡田監督とともに退任。2009年は管理部長二軍担当。2011年から二軍監督。2013年作戦兼守備走塁総合コーチ。2014年当職。

 

投手コーチ 71 中西 清起

阪神 中西清起 画像
現役1984−1996(阪神タイガース)
1985年リーグ優勝時の胴上げ投手。山本和行とのダブルストッパーとして貢献。
【参考】1985年阪神タイガースリーグ優勝(動画あり)
2004年岡田監督のもとコーチ就任。

 

投手コーチ 85 山口 高志

阪神 山口高志 画像
現役1975−1982(阪急ブレーブス)
豪速球で押す本格は投手。「江夏よりも速かった」との声も。小さい体から150Km近い速球で押すスタイルは選手生活を短命で終わらせた。
1983年より1998年まで阪急(オリックス)で投手コーチ。2003年から阪神タイガースで投手コーチ。スカウトを経て2009年投手コーチに復帰。

 

打撃コーチ 78 関川 浩一

阪神 関川浩一 画像
現役1991−1997(阪神タイガース) 1998−2004(中日ドラゴンズ) 2005−2007(東北楽天ゴールデンイーグルス)
俊足巧打の捕手。阪神時代はバッティングを買われ外野で出場機会も多く、中日移籍後は外野手専任。
2007年から2009年まで楽天一軍打撃コーチ補佐。2010年韓国SKワイバーンズの打撃コーチとして優勝に貢献。2011年星野仙一監督の監督就任に伴い楽天に復帰(二軍外野守備走塁コーチ。5月より一軍外野守備走塁コーチ)。2012年阪神に復帰し一軍外野守備走塁コーチに就任。2013年より打撃コーチ(スコアラー登録しベンチではポロシャツ姿)

 

打撃コーチ 75 高橋 光信

阪神 高橋光信 画像
現役 1998−2006(中日ドラゴンズ) 2007−2010(阪神タイガース)
中日時代は右の和製大砲として期待されるも、目立った成績を残せず戦力外通告。合同トライアウトを経て2007年阪神入団。阪神タイガースファンにとっては「代打」としての印象が強い。
2011年より阪神タイガース二軍コーチ。2012年一軍打撃コーチに昇格。

 

内野守備走塁コーチ 70 高代 延博 <評論家より>

阪神 高代延博 画像
現役 1979−1988(日本ハムファイターズ)1989(広島東洋カープ)
1年目よりゴールデングラブ 2年目にはベストナイン。
指導者としては広島➝中日➝日ハム➝千葉ロッテ➝中日➝ハンファ・イーグルス(韓国)➝オリックスと渡り歩き、2013年にはWBC日本代表チームのコーチも務める。2014年阪神タイガース入団。

WBC 本塁に突入しようとする糸井選手を体を張って止める高代コーチ 動画

 

外野守備走塁コーチ 89 山脇 光治

阪神 山脇光治 画像
現役 1981−1995(阪神タイガース)
守備固め、代走などに使われる便利な選手であった。1992年9月11日 「八木 幻のサヨナラホームラン」の試合の最後のバッター。
1996年引退後もコーチ・フロントとして継続して阪神タイガースに帯同。

 

バッテリーコーチ 82 山田 勝彦

阪神 山田勝彦 画像
現役1988−2002(阪神タイガース) 2003−2005(北海道日本ハムファイターズ)
1992年、亀新フィーバーで優勝争いしたシーズンに頭角を表し正捕手として定着。のち矢野輝弘にポジションを譲る。
楽天➝オリックスとコーチを歴任。2013年、阪神タイガースバッテリコーチとして復帰。

 

トレーニングコーチ 91 伊藤 敦規

阪神 伊藤敦規 画像
現役 1988−1994(阪急・オリックス) 1995−1996(横浜ベイスターズ) 1997−2002(阪神タイガース)
遠山・葛西らと強力リリーフ陣を構成。勝っていても負けていても登板。阪神ファンで「イトアツ」を嫌いな人はいない(はず)。
引退後は実家(伊藤建設)の営業主任として務めるも、2005年阪神タイガースに指導者として復帰。

 

打撃コーチ補佐 80 トーマス・オマリー

オマリー 阪神 画像
現役 1991−1994(阪神) 1995−1996(ヤクルト)
広角打法と長打力で日本球界で6年に渡り活躍。1993年には首位打者のタイトルを獲得。引退後はアメリカ独立リーグニューアーク・ベアーズの監督を勤めるなど、指導経験も豊富。

 

DC 掛布雅之

掛布DCの役割とは
現役1974−1988(阪神)
ゼネラルマネジャー付育成&打撃コーディネーター(Development Coordinator)
言わずと知れたミスタータイガース。掛布以降、真のミスタータイガースと呼ばれる選手は出現していない。引退後ユニフォームを着ることは無かったが、2013年秋より現職に就き若手からの信頼も厚い。若きミスタータイガースの育成に期待される。

 

二軍

監督 72 平田 勝男

現役 1982−1994(阪神タイガース)
守備と送りバンドは一級品。ショートのレギュラーであった真弓明信を外野に追いやってのポジション奪取はさすが。(ゴールデングラブ賞獲得4回)
2007年より2010年まで二軍監督。2013年より阪神タイガース二軍監督復帰。

 

投手チーフコーチ 88 久保 康生 <チーフ投手コーチより>

現役 1977−1988(近鉄バファローズ) 1988−1996(阪神タイガース) 1996−1997(近鉄バファローズ)
中継ぎ投手としてセントラル・リーグ最多登板数を記録する。
2005年から2011年まで阪神タイガースコーチ。2012年は韓国斗山ベアーズで投手インストラクター。2013年阪神タイガース復帰。

 

投手コーチ 79 湯舟 敏郎

現役 1991−2000(阪神タイガース) 2001(大阪近鉄バファローズ)
1992年6月14日広島戦(阪神甲子園球場)にて、阪神タイガースの投手としては1973年の江夏豊以来となるノーヒットノーランを達成。
【参考】その他 阪神タイガースでノーヒットノーランを達成した投手
2011年より阪神タイガース二軍コーチとして復帰。

 

打撃コーチ 76 八木 裕

現役 1987−2004(阪神タイガース)
ご存じ代打の神様。優勝した2003年には濱中治が故障で離脱したのち、4番打者としてスタメンを張ることもあり。
【参考】八木裕 代打逆転満塁ホームラン 動画あり
2009年 阪神タイガース二軍コーチに就任

 

内野守備走塁コーチ 73 風岡 尚幸

現役 1986−1997(オリックス) 1998−2000(阪神タイガース)
主に代走・守備固め要員として年間40〜60試合出場。
2011年より阪神二軍コーチ。

 

内野守備走塁コーチ 96 筒井 壮

現役 1997−2004(中日ドラゴンズ) 2005−2006(阪神タイガース)
現楽天ゴールデンイーグルス監督 星野仙一氏の甥っこ。
2007年より阪神タイガース育成コーチ。2013年二軍内野守備走塁コーチ。

 

外野守備走塁コーチ 87 中村 豊

現役 1996−2002(日本ハムファイターズ) 2003−2007(阪神タイガース)
この人といえば、やっぱりこれでしょう。2005年9月7日、熾烈な優勝争いの中、ナゴヤドームで放った決勝ホームラン。

中村豊 ナゴヤドーム決勝ホームラン 動画 2005.9.7

2008年二軍コーチ。2009年一軍コーチを経て、2011年より二軍守備走塁コーチ。

 

バッテリーコーチ 81 吉田 康夫

現役 1986−1997(阪神タイガース)
木戸・嶋田に続く第3の捕手として登録されることが多かった。
1998年以降、コーチ就任し現在に至る。

 

阪神タイガース 歴代背番号 選手一覧

2013阪神タイガースさよならゲーム動画集

阪神タイガース 選手別応援歌2013